我がベーグル、いあんベーグルの立ち位置
私のベーグルはそんなに安くはありません。
でも、それにも理由があります。
最初の頃、ベーグルは今の3分の1ほどの大きさで、値段は今の半分くらいの値段でした。
当初は店舗販売でもあっという間に売れきれることもあったんですが、そこから施設費、材料費、販売委託店舗からの手数料、ラベル代、包装費用なんかを引くと、利益はほとんどないか赤字くらいだった気がします。
「売り切れましたよ」の連絡があるとうれしくて、また同じ値段で売ろうと思ったけど、できませんでした。
それは、金銭的な面と、精神的な面と、体力的な面で、どーーーしてももう1回作るだけの気力がなくなってしまったからです。
わたしの場合、小麦粉系の食品を作るときは、小麦粉から選び始めます。
一つのものを作るときに、色んな粉を試すんです。(今後も試行錯誤によって小麦粉をちょこちょこ変えていくと思います)
それを家でやって、自分でも作れそうか試します。
その後、作れそうだったら、食品加工場の予約を取り、
そこから4〜8時間立ちっぱなしで生地をこね、
成形し、
温度調節して茹でて、
焼いて、
冷まして、
脱酸素剤入れて、
密封できる袋に入れ、
シーラーして、
ラベルと食品表示のシールを貼ります。
そこまでしても赤字とか、利益1000円とか、もう心が折れるんです。
続けられないなと思って、その後1年くらいはベーグルを作るのを辞めました。
でも、それから1年くらいして、何がきっかけかは忘れましたが、「またベーグル作ってみよっかな」と思いました。
家族や彼氏にあげたり、知り合いにあげたり、行事で販売すると、
「この前食べたベーグル、とってもおいしかった!」
と言ってもらえました。
それが嬉しくて、その人たちの顔を思い浮かべながらまた加工場の予約をして、上記の工程を繰り返します。
前回こうだったから、今回はこうしてみよう。そうしたら、みんなおいしいって喜んでくれるかな……。
なので売れないと「この気持ちは誰にも届かなかったのか……」とかなり凹むんですが、そんなときでもしばらくすると「ベーグルおいしかったー!」という天使の一言をいただくんです。
「そっかあ、じゃあもう一回やるかぁ……」
となって、また作ってみる。この一年くらいはこの繰り返しで、1,2ヶ月に一回の間隔で作ってます。
おかげさまで、毎回出る行事ではベーグルのことも認識され始めて(る気がして)おり、ベーグルを作るときに思い浮かべる方々の顔も一年前よりだいぶ増えてきました。
わたしの場合、全部人力でやっているので、大量生産はできません。そうすると必然的に一個あたりの単価が高くなってしまいますが、その分食べてくれた方々の顔を思い浮かべながら作るという、気持ちを込める作業ができます。
これ以上安くはできませんが、工夫をし続けて味はどんどんおいしくなると思います。種類も増えていくでしょう。
実際に去年の今頃と比べると、だいぶ腕も上がった感じもします。量産できない良さと悪さは同居してますね。
わたしのベーグルは、安くはありませんが、食べてくれた方々への思いも練り込まれたベーグルです。わたしは自分の性格的に「作りながら誰かを思うこと」はやめられないと思います。毎回作るたびにだれかのことを思うでしょう。そして、それを安く売るというのは、自分を傷つけることになり、つらすぎてできないんです。
なので、わたしのベーグルは、仕事や学校、家事などがない日の休日に、ちょっと豪華な気分で過ごすためのひと品として食卓に加えてもらえればなと思います。
毎日の食卓で食べてくれればとってもありがたいですが、まずは特別な時間に寄り添う相棒のような存在でいてくれてらいいかなと。
そして、それに見合うだけの品質をこれからも保っていけるように精進し続けると思います。
この2年くらいベーグルを販売し続けて、やっと自分のベーグルの立ち位置を見つけられた気がします。
そのうちまた変わるかもしれませんが、今はそんなところで落ち着きはじめたので、文章にしてみました。