もうカフェじゃないのは①
「この手続き全部やろうとしたらとても1ヶ月じゃ無理ですよ。もっともっと時間がかかる」
そう言われた去年の11月の半ば。カフェの営業再開のために訪れたある行政の施設を、わたしはひどく落胆した気持ちと、「どうしよう……一体どうすれば……」という絶望感でいっぱいになりながら後にしました。それまで2週間ほど、複数の行政機関を10回以上訪ね歩いたものの、結局それが「カフェ営業再開の見通しがつかない」という結果で終わってしまったのです。再開を待っているとおっしゃってくれた皆さんやお世話になった方々の顔が目に浮かび、申し訳なくて、不甲斐なくてたまらなかったです。正直、ほんと、足元から地面が消えていくようでした。わたしの目の前はこんなに閉ざされているのかと。
その日はもう落胆していてなにもできなかったのですが、一晩明けてからふと考えてみたのです。わたしはもともとこちら(庄内)に帰ってきたのは、地域活性化をしたいと思ったからでした。そこで、地域であまり目にすることのない(と思っていた)小洒落た子連れOKの、しかも子どもが泣いてもOKのカフェを作ろうと思いました。地域を活性化させたかったので、特にカフェにこだわっていたわけではありません。ただ、それがあったらみんな快適に、文化的にも豊かに暮らせると思ったのです。カフェを開いてから情報収集をして、もっと地域に求められているものがあれば、あとからそちらに業種変更でもいいかなと思っていました。
飲食店経営は想像以上に大変でした。自分の考えと地域の考えのギャップもありましたし、自分が作った料理が食べられない時の切なさと経済的な損失は二重につらかったです。かといって廃棄物を減らそうと仕入れる量を減らせば、そういうときに限って多くの人においでいただくこともありました。わたしはそんなに街中でやっていなかったので、せっかく来てくださったのに申し訳ないとまた多く仕入れると、次の日は全然来なかったり……。一人で経営するのって精神的にかなり強くなるなと思いました。
そんな折に、店はとある事情のもと一時休業。そして完全休業へ。これはもしかしたら基本に立ち返る時期なのかもしれないと思いました。
そしてわたしは自問自答し始めます。「もともとは地域活性化のために帰って来た。わたしが帰って来た当時に地域活性化に必要だと思ったのは、子育て世代も小洒落た感じを楽しめる空間。」「そもそもなぜ小洒落た空間が必要だと思ったのか。」「それは、そういう空間があれば多くの人が地元を誇れると思ったから。」「今、仮にわたしたちが庄内をそれまで誇れていなかったとしたら、東京や仙台や新潟と比べて文化的に劣っている(先端をいっているわけではないし「まあ庄内はこんなもんだ」)と思ってしまっているとしたら、それはなぜか。」「それは、自分たちが文化の発信や想像をするのではなく、他の都市を追随しているに過ぎないと感じているのではないか。では、文化的に豊かになり、自分たちで文化を作り出していけば、他の地方の人たちにも「庄内はいいんだぞ」と誇れるのではないか。」「文化を作り出すために必要なのは何か。」「教養と行動力と活力。そして健康と人。あとは、自分たちの文化と別の文化を比べられることのできる客観的な視点と知識、そして経験。」「それならばその教養と視点を、わたしの店から供給することはできないだろうか。」
「そうか、それならカフェじゃなくていいじゃん。」わたしは自問自答の末にそう思ったのです。
(つづく)