もうカフェじゃないのは② 〜知の輪を広げたい〜

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そこでまず思いついたのが英語教室でした。英語そのものが言語として優れているとかは全く思ってませんが、今の時代は英語が話せると本当に交流範囲がぐっと広まります。世界中の人たちと意思疎通ができれば、自分が世界から置いていかれている感覚はなくなり、世界と一緒に発展したり進んでいく感じもあります。言語は道具にすぎません。人と仲良くなったり、知識を増やしたり、恐れを減らしたり。それならば英語関係のことをやる意義はあると思いました。

また、文化的に豊かになるためには芸術も必須です。わたしには芸術面では写真があるし、絵でも大学のころ展覧会に選出されたことがありました。ならそこから芸術面でも供給することは可能です。

さらに、世の中を冷静に捉え比較するには、ある程度の科学的な知識も必要だと思います。では、どういったところからなら科学に親しみをもってもらえるだろうか。身近な科学……しかもロマンを感じるもの……星だ! それなら自前のプラネタリウムをやろう。ただ、わたしは正直科学的な知識が一番不足していたので、まずはそこを補って自分がなにをわかっていなかを知るために、講座を受講することにしました。

また、頭でっかちにならないよう、知識と同様に経験を積むことや運動をしていくことも大切です。ここもなんとかしてやれないかな。

ここまで考えが進むと、私の場合もうカフェである必然性はないように思えました。そして、なんだか、なんとかやっていけそうな気がしたのです。知ることは楽しいこと。自分自身の可動領域を広げることは人生を豊かにします。教養をもとに文化を作ることができれば、きっと他の都市部にも負けない自慢できる地域を創造できるはずです。それがわたしたち自身の地元への誇りへとつながります。地元を誇りに思えれば、きっと方言も廃れていくのではなく別の方向へと進み出すでしょう。

東京のようになれるとは思っていませんし、東京のようになる必要もないと思います。だってこれから先はまったくこれまでとは別の時代なんですから。せっかく世の中の大きな転換期にいるので、その波に乗ってこの地域自体もその方向に進んでいけばいいのです。

ということで、わたしが今自分の店でやっている英語・カメラ・プラネタリウムは、一見支離滅裂のように見えるかもしれませんが、自分の中では一貫した内容なのです。文化を作るための土台づくり。そしてうちの屋号がしめすように、この場所から庄内を「けも(混ぜる)」していければいいと思っています。おこがましいのはわかってます。大それた発想かもしれません。でも大それた発想はこれだけではないのです(笑) 思い描くのは自由です。知性は人生を豊かにします。知の輪を広げていきたい。まずはやってみよう。ダメだったら、また方向転換すればいい。そんな思いで、わたしは店を再開しようと決意しました。